中国語歌詞
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さあ、あなたはどの曲に心惹かれましたか?C-POPで楽しく中国語を学びましょう♪
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フェイ・ウォン
王菲
[wáng fēi]
1969年8月北京生まれ。生まれた当時は母の姓を取り「夏林(Xià Lín、シィア・リン)」と名づけられたが、14歳のとき、父の姓を取り「王菲」と改名。高校で歌を始め、北京で数本のカセットテープを発売した。
高校を卒業後香港へ移住。当初は海外へ留学するための経由地として香港へ移住したが、新しくやって来た移民は1年間香港から出国することが出来ない制度があったため、留学を断念し歌を習い始める。その歌の先生に勧められ、シネポリー・レコードのオーディションを受け、合格。1989年に王靖雯(Shirley Wong)の名で歌手デビューを果たす。当時のキャッチフレーズは”北京からやってきた女の子”。3枚のアルバムを発表したが、大きなヒットもなく、香港の音楽業界のシステムに馴染めなかった彼女は1991年から1992年までの約半年間アメリカ合衆国に留学する。
シネポリー・レコードとの契約が1枚残っていた彼女は、1992年香港に戻り、アルバム『Coming Home』を制作、発表。この時、英語名を本名に近いFaye Wongと改名。『Coming Home』の収録曲『容易受傷的女人』(邦題:『傷つきやすい女』、中島みゆきの『ルージュ』のカヴァー)は爆発的ヒットを記録、その年の香港の音楽賞を総なめにした。1994年には初めて母語である北京語のアルバム『’迷(邦題:恋のパズル)』を発表、台湾、東南アジアへの進出を果たした。同年に中文名を本名の王菲にし、それ以降本名で活動している。
主な活動拠点は香港で、ギネスブックにも「広東語のアルバム累計売り上げ」で世界一と認定されている。 中国語圏のみならずアジア圏を代表する歌手の一人ともいわれ、香港では第二のテレサ・テンとも呼ばれる。
日本ではプレイステーション用ゲームソフト『ファイナルファンタジーVIII』の主題歌『Eyes On Me』を歌った事や、関西方面でJ-PHONE(現ソフトバンクモバイル)のキャラクターを務めた事、フジテレビ系のテレビドラマ『ウソコイ』に主演した事でも知られる。
特に『Eyes On Me』は50万枚の売り上げを記録し、オリコン総合シングルチャート最高位9位(洋楽チャートでは19週連続1位)を記録。また、ジャパン・ソリッド・ゴールド・アワードでは最優秀曲賞を、第14回日本ゴールドディスク大賞では洋楽部門のソング・オブ・ザ・イヤーを、第41回日本レコード大賞ではアジア音楽賞を受賞した。
1999年3月、日本国外を拠点としている中国人アーティストとしては初めて日本武道館でコンサートを行った。(中国人としてはアグネス・チャンが1978年に行っているのが初。)
1996年に中国大陸のロックバンド「黒豹」の元ボーカル、ドウ・ウェイ(竇唯)と結婚し、一女をもうけたが、1999年に離婚。その後香港のアイドル、ニコラス・ツェー(謝霆鋒)と交際していたが破局。2005年に大陸の俳優、リー・ヤーポン(李亞鵬)と再婚した。
リー・ヤーポンと再婚した後は仕事をセーブしている。2006年5月に出産した女児が重度の口唇裂であったことを公表、同じ障害に苦しむ貧しい子供たちの為の『嫣然天使基金』を夫と共に立ち上げ、話題になった。