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03

Jan

2010

  

      新的一年开始的重要日子。日本称为正月,中国称为春节。日本是阳历的一月一日(元旦),而中国用的是阴历,每年春节的日期都不同,大致都是在2月上旬左右。
      虽然日期不同,但是同样都是庆祝新年的开始。其意义在于:严冬结束了,带着喜悦之情迎来万物生长的春天。无论是中国还是日本,这一天都将祝愿春天如期到来,万物生根发芽,并祝福在新的一年里幸福快乐。

  新しい一年の始まる大切な日。日本では正月、中国では春節と呼ばれます。日本では陽暦の一月一日(元旦)、中国では陰暦を用いるのでその年によって違いますが、だいたい陽暦の2月上旬ぐらいです。
  時期は違いますが、共通するのは年の初めを祝うということ。これは厳しい冬が終わり、作物が育つ春を慶びを持って迎えるという意味合いを持っています。日本でも中国でも、この日に命が再び芽吹く春が順調に訪れるよう、また新しい一年を幸せに過ごせるよう願います。

 

 

带有肃美的正月

    如童谣“在过几天就到正月了”中所歌唱的那样,在快乐盼来的新年,即使是生活变得宽裕的

今天,人们仍然会以严肃的态度进行一些活动。为了迎接新年,在大年夜的12月31日进行大扫除

洁净家中,并设立成为招福“年神”的依代(神的座位)的“门松(松枝)”,布置年糕等供品

等,一家人忙得热火朝天。到了晚上,边聆听寺庙的除夕钟声,边品尝“过年荞麦面”,参拜神

社或寺庙,进行祈福新的一年的“初诣”(新年首次参拜),为新年的开始做准备。

    元旦的庆祝方式,是吃“屠苏(放药草的酒)”和“烩年糕(放有年糕的汤)”,以及被称为

“重箱”的,即在3层或5层的带盖子的盒子里装满料理的“御节料理”。重箱里装的是代表吉祥

的料理。让孩子们高兴的是,能从父母或亲戚那里拿到放在小小纸信封里的压岁钱,

 

 

■亲戚们一起包饺子

    中国将农历的正月初一称为“春节”,并进行庆祝。春节是一年里最重要的节日,因此家人们

聚集一堂。中国国土辽阔、人口众多,离开老家出门打工的人们都会在这个时候回家,因此虽然

此时飞机和旅馆价格上涨,依然会供不应求,铁路的任何车辆都被挤得水泄不通。即使这样,重

视亲情的中国人,依然会千方百计地回家与家人一起共度春节。

    春节里,家家户户门上两侧都贴有春联(写有吉祥话语的2张红纸),大家一起吃饺子,通宵

达旦迎接大年初一。还有本命年的男女穿着红色衣服或内衣的习惯。此外,为了让好运留在家中

据说在1号至5号,不可扫除,不可倒垃圾。

 

 新しい一年の始まる大切な日。日本では正月、中国では春節と呼ばれます。日本では陽暦の一月

一日(元旦)、中国では陰暦を用いるのでその年によって違いますが、だいたい陽暦の2月上旬ぐ

らいです。
  時期は違いますが、共通するのは年の初めを祝うということ。これは厳しい冬が終わり、作物が育

つ春を慶びを持って迎えるという意味合いを持っています。日本でも中国でも、この日に命が再び芽

吹く春が順調に訪れるよう、また新しい一年を幸せに過ごせるよう願います。

 

■華やいだ厳粛さを持つ

  「もういくつ寝るとお正月」と童謡で歌われるほど楽しみに待つ正月は、生活が豊かになった今でも人々を厳かな気持ちにさせる行事です。新しい年を迎えるため、大晦日の12月31日はすす払い(大掃除)をして家を清めたり、福を持ってきてくれる「年神」の依代(よりしろ)(神様の居場所)となる門松(松の枝)を立てたり、お餅などのお供えを整えたりと家族はみんな大忙し。夜になると、お寺の除夜の鐘を聞きながら「年越し蕎麦」を食べ、神社か寺へお参りして1年の福を祈る「初詣で」をして心新たに一年をスタートさせます。

  元旦には、お屠蘇(薬草が入ったお酒)とお雑煮(餅の入った汁物)、そして重箱と呼ばれる3段や5段の蓋付きの箱に詰めたおせち料理を食べてお祝いします。重箱には縁起のいい料理ばかり入っています。子供たちは毎年、小さな紙の封筒に入ったお年玉を両親や親戚などからもらうのを楽しみにしています。

 

■親戚一同で餃子を包む

  中国は旧暦の正月初一を「春節」と呼んで祝います。春節は一年で一番大切な行事ですので家族

が一堂に集まります。広大で人口の多い中国で、実家から遠く離れて仕事をしている人が一斉に帰省

するので、飛行機やホテルは値上がりするにも関わらず、あっという間に満員になり、鉄道はどの車

両も立錐の余地がないほどにぎゅうぎゅう詰めなります。しかし、家族を大切に思う気持ちが強い中国

の人々は、どんなに大変でも家族と一緒に春節を祝いたいという強い思いがあるのです。

  家々では、門の両側に春聯(チュンリエン)(2枚の赤い紙に一対の縁起の良い言葉を書いたもの)

を貼り、みんなで餃子を食べて眠らずに元日を迎えます。年男と年女は新しい赤い服や下着などを身

に着るという習慣もあります。また、幸運を外に逃してしまうから1日から5日までは掃除をしたり、ゴミ

出しをしてはいけないとも言われています。

 

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03

Nov

2009

  

  

 北京の四合院は伝統的な住宅として、元の時代(1271ー1368年)に建てられ始めました。ただ、現存する四合院の大多数は清の時代(1644ー1911年)から1930年代にかけて建てられたものです。

 四合院の「四」の字は、東西南北の四面を表しています。「合」は中国語で取り囲むという意味があります。その構造は封建時代の礼法や礼儀、道徳観の影響から、東西の真ん中に南北に線を引くと、家屋と庭が対照的に並びます。四合院とは一つの総称で、建築面積の大小や異なる方角に組み合わせることで大四合院とか、小四合院、三合院に区分されます。

   

 外に通じているのは門だけで、一般に窓はありません。あっても、南向きの部屋から採光し、壁の高いところに小さな窓があるだけなので、門を閉めてしまえば、四合院は外の世界と遮断されます。

 四合院に住む人は余り隣の人とは行き来せず、一家は小さな庭で暮らし、世間とのもめごともないような気がします。四合院は、揺れ動く社会のなかで北京の人々が求めてきた心落ちつく閑静で安楽な住み家なのだそうです。北京の人たちは昔から、様々な胡同の四合院で、長い年月を送ってきました。

 真夏にはクーラーがついていなくても、建築材料と部屋の構造のため、部屋の中はぜんぜん暑さを感じませんでした。北京の気候風土に合った構造や造りになっているからです。天井は高く、そのため夏も涼しく過ごしやすくなっています。そして、冬はそんなに寒くありません。練炭のストーブがあってやかんがシュンシュンなっていますから。

     

 でも、生活にはちょっと不便でした。水は一つの四合院で1ヵ所にしか水道がなくて、トイレは胡同の公衆トイレを使っていました。生活には不便なので、高層アパートなどに移り住む傾向もありそうです。

 今は、時代が進んで、北京も大きく変わりました。街の様子は一新し、昔の胡同の多くは道幅が広くなり、アスファルトになって平坦になり、通りの両側には高層ビルが建ち並んでいます。

 林立する高層アパートを目にしますと、北京情緒に富んだ古い四合院をまた思い起こします。市政府は昔の北京の特徴と人々の生活の雰囲気を残そうと、都市計画の策定の中で一部の胡同や四合院を残すことに配慮しています。大規模な開発・拡張工事で幸いにも残された四合院には、「北京市文物保護単位(文化財)」と記された看板が掛けられています。

 北京観光をする時、北京の昔の住宅を代表する四合院はぜひ見逃さないでください。

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11

Oct

2009

  

 中国近代文学の父・魯迅は、紹興で生まれ育ちました。魯迅は18歳までこの町で過ご

しました。その旧居が、今も紹興市の中心街に残されています。

  

 魯迅は裕福な家に生まれました。のちに没落して苦労しましたが、幼い頃はこの紹興の

町でのびのび育ったようです。旧居は非常に広くて、順序に従って歩くだけでも30分以上

かかります。敷地内には「百草園」と名づけられた広い庭と大きな野菜畑もあります。この

「百草園」という庭は、中国では知らない人はいないほど有名です。中学の国語の授業で

彼のエッセイを勉強しますが、そのエッセイにこの庭のことが出てくるのです。魯迅はこの庭

で、虫を捕まえたり、植物の根を掘り出したりして遊んでいたようで、なかなか腕白な子供だ

ったようです。

  

 この旧居のほかにも、周辺には魯迅に関連する施設がいろいろあります。魯迅が17歳

まで通っていた私塾「三味書屋」や資料を集めた記念館は、旧居のチケットを持っていれば

入場できます。こうした施設を見学することで、改めて魯迅の人柄や精神にふれることができ

るでしょう。

 魯迅のほかにも紹興ゆかりの有名人はたくさんいます。たとえば、周恩来元首相は本籍が

紹興で、市内には一族ゆかりの家が今も残されています。また、北京大学の学長を務めた教

育家の蔡元培なども紹興出身です。こうした紹興ゆかりの人物を尋ねる旅も面白いのではない

でしょうか。

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07

Oct

2009

  

     

 雲南省北西部にある玉竜雪山の麓に麗江という古い町があり、その形が大きな硯に似ているので、「大研鎮」とも呼ばれています。

 昔から人類がここで暮らしてきましたが、紀元1253年にフビライ(後の元の世祖)が南の大理国を征伐したとき、ここに軍隊を駐留しました。それから、清の初期までの500年間、麗江は中央王朝に管轄されたナシ族の木一族の祖先と首領に世襲の形で統治されてきたのです。

   

 山を背後にひかえ、川に臨む大研鎮は、高い城壁はありません。五色の石を敷き詰めた古い道の両側には木や石、泥で造られた住宅は美しく、質素で、実用的なものばかりです。小川が中心部にある四角い街や多くの横町を流れ、川のほとりには木々が生い茂げり、シダレヤナギが水面をそっと払っているようです。住宅は部屋の前に橋を掛けたり、背後に小川をひかえたり、水の流れをそのまま部屋の壁を通り抜けさせたりしています。

 古い住宅建築物は漢族、ペー族、チベット族の住宅の伝統的な様式を結び付け、独特な風格を形成しています。正面とわきの家屋、そして目隠しの壁によって囲まれた「三合院」が主な形で、「三坊一照壁」と呼ばれています。戸や窓にはきれいな図案が精緻に彫刻され、庭には木や花があり、人々に快適さを感じさせます。

   

 ナシ族の人々は教育を重んじ、詩・琴・書・画に長じています。ナシ族の古代音楽は歌と踊りを一体化したもので、「生きている音楽の化石」とたたえられています。更に面白いことは、麗江の東巴経文は、今日においても世界で使われている唯一の象形文字として、各国の学者がその研究に力を入れています。

 1997年に麗江古城はユネスコの『世界文化遺産リスト』に登録されました。

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30

Sep

2009

  

「桂林山水甲天下(桂林の山水は天下に甲たり)」ーーー桂林は、風光明媚な景勝地として人気があります。

<地名の由来>

「桂林」という町の名前は、「キンモクセイの林」という意味。「桂」の字は、中国語でキンモクセイを意味します。

実際、市内には45万本のキンモクセイの木があり、秋になると、いっせいに花が咲いて、町中が黄色くなるほどだそうです。

<漓江くだり>

桂林の中心部を流れる大きな川「漓江」。この「漓江」をフェリーで遊覧する「漓江くだり」は、桂林観光のメインイベントです。

川くだりと市内観光がセットになった日帰りツアーでは、朝8時半ごろホテルを出発。旅行会社の乗り合いバスがホテルまで迎えにきてくれるので、安心です。バスで山を越え、1時間ほどで船乗り場に着きます。係員の案内で乗船し、10時ごろ、岸を離れます。

「漓江」は全長437キロある大きな川ですが、ツアーでは、桂林から陽朔までの83キロをおよそ4時間かけて進みます。この一帯の景色がいちばんきれいなのだそうです。

「漓江」の景観は、よく「水墨画のようだ」とたとえられますが、まさにそのとおり。石灰岩で出来た変わった形の山々の間を縫うように、ゆっくりと船が進んでいきます。岸辺では水牛が草を食み、雄大な自然を満喫できます。

「漓江」ぞいの山々には、おもしろい名前がついています。たとえば、「蝙蝠山(コウモリ山)」という山は、2羽のコウモリが羽を広げているように見えるので。また、「望夫岩」は、子供を背負って夫の帰りを待っている母親に見えるので、その名がつきました。

また、フェリーの中では、中国の家庭料理の昼食も用意されます。

<桂林民俗風情園>

桂林市内にある、少数民族の文化を紹介するテーマパークです。

桂林には、チワン族をはじめ、ヨウ族・回族・苗族・トン族といった少数民族が暮らしています。

係員もほとんどが少数民族出身で、民族衣装を身につけ、民族楽器や踊りを披露してくれます。園内には各民族の住居も作られていて、彼らの生活様式がわかるようになっています。

<桂林名物・ビーフン>

桂林には、ビーフンの看板を掲げたお店がたくさんあり、朝早くから夜遅くまでにぎわっています。日本では台湾などの乾燥ビーフンが有名ですが、桂林のビーフンは、ベトナムのフォーと同じ生ビーフン。やわらかく口当たりがいいので、地元では朝食に食べる人が多いようです。食べ方は、ゆがいた麺をお椀に入れてもらい、そのうえに無料の香菜やつけもの、唐辛子などをトッピング。そこにトンコツや牛骨などを煮詰めたスープを少し入れてまぜます。日本の讃岐うどんみたいなイメージでしょうか。味は店によって違いますが、薄味でシンプルなので、日本人の口にも合います。

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 中国西北部、陝西省の省都である西安市は、有名な観光都市です。秦の始皇帝陵や兵馬俑などさまざまな見どころがあるほか、美味しい名物料理がたくさんあります。その中でも、軽食の「羊肉泡モオ」は特に有名です。羊肉や野菜を煮込んだスープが効いた、すいとんのような料理です。

 「羊肉泡モオ」については、こんな物語が伝わっています。今からおよそ1000年前、のちに宋の初代皇帝となる趙匡胤(キョウイン)という人物がいました。実家は貧しく、長安(今の西安)の町で浮浪者のような生活を送っていました。ある日、趙匡胤はひもじさのあまりポケットを探りましたが、出てきたのは乾いてカチカチになった饅頭2つ。しかも、水がないので喉につっかえて、なかなか飲み込むことができません。これを見ていた肉屋の主人は趙匡胤を哀れに思い、店で作っていた羊肉のスープを一杯、趙匡胤に手渡しました。趙匡胤は饅頭をちぎって、このスープにひたして食べました。すると、饅頭がスープを吸収し軟らかくなっただけでなく、体が温まり、胃袋がすっかり満たされたのです。

 10年後、趙匡胤は宋の初代皇帝となりました。ある日、趙匡胤はかつて自分を助けてくれた肉屋の前を通りかかりました。10年前の記憶がすぐによみがえりました。店の主人は趙匡胤を見つけると、昔をなつかしんで、ちぎった饅頭をひたした羊のスープを出してくれました。趙匡胤は喜んで、店の主人に金品を与えたといいます。

 のちに、この料理は饅頭ではなく、「モオ」という小麦粉で作ったナンのようなものを入れるようになり、改良されました。こうして、「羊肉泡モオ」は生まれたのです。

 この料理は庶民の間ですぐに広まり、1000年が経った今も、西安の名物であり続けています。西安の鐘楼鼓楼広場には、88年の歴史をもつ老舗店「同盛祥」があります。この店の「羊肉泡モオ」は肉が柔らかく、スープの味が濃いので、人々の間で「美味しい」と評判です。昨年6月には、国の無形文化遺産に認定されるなど、高い評価を受けています。

 お昼時にもなると、店内はお客さんでいっぱいです。お客さんはおしゃべりを楽しみながら、「モオ」をちぎってスープに入れています。そして、ころあいを見て、食べ始めるのです。

 上海からやってきたお客さんは、次のように話しています。

 「北方の人たちは、『羊肉泡モオ』が大好きなようですね。友達が『美味しい』と薦めてくれたんです。食べるときは、この『モオ』をできるだけ細かくちぎって入れるのが、美味しく食べるポイントだそうです。ぜひ食べてみたいと思って、今日はこの店にやってきました」

 さて、この「羊肉泡モオ」は、どのように作られるのでしょうか?「羊肉泡モオ」を出す店の厨房に入ると、土の釜がずらりと並んでいます。釜の上には、お碗と同じ大きさの鍋が置かれています。コック長の馬さんは、一つ一つの鍋に調味料を丁寧に入れています。馬さんは、「羊肉泡モオ」作り方のコツについて、次のように話しています。

 「『羊肉泡モオ』を美味しく作るコツは、スープを美味しく作ることです。塩などの調味料を入れるタイミング、そして火力が決め手となります。作るときは、それらを正確に把握しなければなりません」

 老舗「同盛祥」の「羊肉泡モオ」がなぜ美味しいのか。そこには、コックたちの長年にわたる努力がありました。コックのひとり・烏さんは、次のように紹介してくれました。

 「まずは羊の骨を、水に10時間ほど浸けておきます。羊の臭みを取るためです。骨につやが出てきたら、鍋に入れて弱火で12時間煮込み、その後さらに強火で4時間ほど煮ます。それから、羊の肉を入れます。このような手順で作ると、美味しい出汁が出るんです」

 この「羊肉泡モオ」、作り方と同様、食べ方にもいろいろなコツがあります。陝西省食文化研究会の白剣波副会長は、次のように紹介しました。

 「『羊肉泡モオ』の食べ方は、4パターンあります。一つ目は、スープをほんの少し入れる食べる方法。二つ目は、少しだけスープにひたして食べる方法。三つ目は、スープをたっぷり入れて食べる方法。四つ目は、別にスープを飲みながら具を食べる方法です。それぞれ、違う味を楽しめますよ」

 「羊肉泡モオ」は、西安の庶民の味。西安の人々は、みんな大好きです。西安市民の鄭さんは、面白い話を話してくれました。

 「小さいころ、家族と一緒に映画を見に行きました。映画館の前に『羊肉泡モオ』の店があったので、そこでまず『モオ』を買って、映画を見ながら『モオ』をちぎりました。映画が終わった後、ちぎった『モオ』を店の人に渡すと、スープをかけてくれました。家族4人、映画の話をしながら『羊肉泡モオ』を食べました。あのとき感じた暖かさは今でも忘れられません」

 西安で「西安のシンボル」を選ぶイベントが行われました。その結果1位となったのが、陝西省出身、中国でよく知られている作家・陳忠実さんと、この「羊肉泡モオ」でした。この結果について、「羊肉泡モオ」とともに1位に選ばれた陳忠実さんはこう見ています。

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15

Sep

2009

  

      

 少林寺は洛陽市の南13キロの河南省嵩山という山麓一帯にあります。3年ほど前までは、バスで片道4時間ほどかかったのですが、一作年から洛陽から高速道路が完成し、タクシーを利用すれば50分で結ばれまました。

 少林寺は歴史を遡りますと、北魏孝文帝太和19年(紀元495年)に建立され、中国の禅宗の発祥地でもあります。

 少林寺といえば日本では、「少林寺拳法」発祥の地として高い知名度持っています。中国古来の拳法は、「南拳」「北拳」という言い方があります。「南拳」は湖北省にある武当山の拳法を指し、「北拳」の発祥地が洛陽の少林寺を源流としています。

   

 少林寺寺の住職の話によりますと、中国の拳法カンフーは、古来、身を護る手段として僧侶たちが習い始め、日本では少林寺拳法としてよく知られている「少林拳」が基礎でした。これは唐の太宗の時、僧曇宗ら13人が太宗皇帝のボディーガード、身の安全を護る役目を果たし、その功績で少林拳の名声が全国に響き、北拳の正統な元祖となったと言うことです。

   

 少林寺は1980年代初めに大ヒットさせた映画「少林寺」で一気に知られるようになりました。今では年間百万人以上の観光客が訪れる名所となり、その収入源は、観光、カンフーの実演、イベントなど多角経営ですよ。

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11

Sep

2009

  

 皮蛋(ピータン)は、アヒルの卵を殻のまま、木灰、泥、塩といった強いアルカリ性の下地に漬けたもので、中国でとても人気のある食べ品です。鶏卵やウズラの卵などでつくられる場合もあるそうですが、アヒルの卵が一般的です。出来上がりの皮蛋は、黄身が黒っぽい茶色で、白身が半透明状態になります。高級品には白身の表面にアミノ酸の結晶による松のような花模様がつくことから、松花蛋と呼ぶこともあります。

 石灰や木炭を混ぜた粘土を卵の殻に塗りつけ、モミガラをまぶしたものを、土の中かカメの中にいれ、2潤オ3ヶ月程暗い所に保存するのが一般的な作り方です。殻の表面に塗りつけた石灰などのアルカリ分によって、卵白の部分は黒っぽいゼリー状になり、黄身の部分も半透明色になります。アンモニアや硫化水素を含む独特の匂いと刺激的なにおいもします。また、食べる時は、殻についた粘土やモミガラなどを洗い落としてから殻を剥いて食べますが、スーパーなどでは、すでに粘土やモミガラを落としたものが売られています。できればスライスしてしばらく空気にさらし、臭いが減ったころに食べるといいでしょう。黄身が半熟で匂いのわりと弱い皮蛋が一番いいものとされています。

 また、皮蛋は前菜として、そのまま食べるだけではなく、食材として、和え物の"皮蛋豆腐"やお粥の皮蛋粥といった中華料理にも使われています。

皮蛋豆腐の作り方

材料:

皮蛋 絹豆腐 ザーツァイ

調味料:

醤油 お酢 塩 胡麻油

作り方:

1、豆腐は電子レンジで2分加熱し、水分を出します。

2、皮蛋はくし形に切り、豆腐の上にを皮蛋を並べます。

3、ザーツァイをみじん切りしてから、調味料や胡麻油をかけるとできあがりです。

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麗江は朝晩寒いので、セーターやコートが必要です。また、地元の飲用水は雪融け水を使っているため、水温が低く、体を冷やすので、冷え性の人は市販の水を飲んだほうが安全でしょう。

2

 麗江古城には芸術家や工芸家も多く生活し、特色があるナシ族の手工芸品も多くあります。また、古城(大理、麗江)のバーの値段は手ごろで、3、4元で飲めるドリンクもあります。土産品には、宣威ハムや雲南のキノコがお勧めです。

3

 麗江古城で過ごす夜には中国音楽の「生きた化石」とも言われるナシ古楽を鑑賞することをお勧めします。

4

 旅行する際に気をつけること:

 地元はナシ族が多く生活しています。ナシ族の習慣として、川や池にごみや廃棄物などを捨てること、水源を破壊し、ふさぐこと及び水辺の木を伐採することなどを禁止しています。また、屋内で敷居に座ったり、妊産婦の部屋に入ったりすることも禁止されています。

 イ族の場合、火塘(室内の土間に作られた暖炉)は一家の隆盛を象徴するもので、一室の心臓部のように崇拝されています。これに跨ることや中の「鍋荘石」を踏むことは固く禁じられています。

 また、火塘を囲んで座るには順番があります。イ族の家庭を訪ねたら、座る場所については主人の言う通りにしてください。イ族は馬、ラバ、犬、猫、猿の肉を食べることを禁止しています。

 また、リースウ族の場合、祖先を祭る部屋の隅に置かれているものを勝手に動かすことはいけません。また、イ族と同じように、木を勝手に伐採することや馬、ラバ、犬などの肉を食べることも禁物です。ユニークなことはカッコを殺すことは禁止されていることです。

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02

Sep

2009

  

魯肉飯(ルーローファン)は、台湾できわめて人気が高い定番の台湾風豚丼です。豚バラなど肉の煮込みをご飯の上に乗せたどんぶりご飯で、代表的な台湾料理とも言われています。

  日本の豚丼や豚バラ丼に煮たような料理ですが、味や食感はかなり違います。一般的には醤油味のものが多いです。香辛料などを入れたタレで豚バラ肉をよく煮込んで、コラーゲンを出した豚肉を細く切ってから白いご飯の上に乗せます。そのほかに、刻んだ野菜やシイタケ、味付け玉子、肉味噌、モヤシ炒めなどをいっしょに乗せることもあります。

 レストランや各家庭によっては味もずいぶん違い、「秘伝のタレ」などとも呼ばれるものもあるそうです。そんなタレで長い時間をかけて煮込むことで、肉から溶け出たコラーゲンの独特な風味があります。  

 台湾では、庶民に親しまれ、定食屋や食堂でも定番メニューになっていますが、今、大陸でも人気が出ているようです。

【レシピ】

材料:

 豚のひき肉、ネギ、にんにく、油、たくわん、シイタケ、味付け卵、モヤシなど(好みによって野菜を選んでもいい)

調味料:

 醤油、黒砂糖、酒、胡椒、

作り方:

1フライパンに1大さじの油をいれ、ひき肉を炒めます。ひき肉は、すぐにかき混ぜないで、少し焦げ目を付けるのがポイントだそうです。焦げ目がついたら、皿に取っておきます。

2フライパンに再び2杯大さじの油を入れ、よく熱してネギとニンニクのみじん切りを強火で炒め、香りを出します。

3ひき肉を入れます。全体になじんだら上記の調味料を入れ、また炒めます。よく混ざったところで、水を加え、弱火で30分煮こみます。

4ひき肉は煮込んだら、白いご飯に適量を乗せて、たくわんを添えて出来上がりです。

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