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ホームブログ不管三七二十一 > 通往夏天的门-夏への扉
  

 (这篇文章是前一篇文章(9/11)的继续

*今回も、真っ赤になってしまいました。

 

そもそも、わたしの部屋の扉を開ければ、エアコンがある居間からの空気も流れます。
また、わたしの部屋の窓と居間の窓の両方を開けておけば、とても風通しはいいのです。
 
原来其实如果(只要)打开我房间的门,就能够得到起居室里的空调送来的凉风有空调的起居室的空气也流。⇔
同时,如果(只要房间的窗和起居室的都打开门的话,通风也会非常好。(房间的空气也会变得十分通畅
 
しかし、わたしの部屋の扉を開け放しにはできません。なぜなら、家には猫がいて、猫がわたしの部屋に入ると、すぐに観葉植物の葉を食べ、さらに土を掘り出します。
 
可是,不能敞开我间的门。因为,我家有猫,一进我的房间,就吃赏叶植物的叶并且挖出土(把花盆里的土挖出来,把地板弄得乱七八糟的)。
 
また、部屋に置いてある本やノートをひっかくのも彼の趣味の一つです。さらに、わたしのパソコンの上に乗って、わたしを押しのけ、キーボードを歩いて、自分の文章を作るのも彼の特技です。
 
而且,放置里的书和笔记本也是他的爱好之一。并且,他还有一个拿手好戏,就是登上我的电脑上面,推开我(并把我推到一边),自己键盘制作写起他自己的文章(大作也是他的拿手好戏
 
このようにして、彼の趣味はわたしをあまり愉快にはさせません。そこで、わたしは、彼の体を廊下から居間に向かって滑らせます。猫の掃除機となって、かれは廊下を掃除することになります。
 
 
这样,他的这些爱好终于不太愉快惹恼了。于是我抓起他的身体,把他抛向走廊,让他从走廊向起居室滑去我滑倒他的身体。像个它成为猫的除尘器似的,他会为我打扫走廊。
 
5メートルほど廊下を掃除してくれた彼は、笑いながら立ちあがって、またわたしへ向かってきます。また廊下を滑らせると、何度も回転して滑りながら立ち上がり、またわたしの方へ向ってきます。
 
当他打扫5长的走廊一边便一边然后跑过来倒在我的怀里
使抛向走廊的话这次一连打了多次几个转转,一边滑着一边起来,然后又向我来。
 
これを15回くらい繰り返すと、彼は飽きてきて、また、観葉植物を食べ、キーボードをたたき。。
 
这样反复这个15次左右的话,他开始感到厌烦,又(トル)起了赏叶植物,打起键盘。
 
というわけで、普通はわたしの部屋の扉は締められています。ただ、たまにわざとうっかりしたふりをして、扉をあけておくこともあるのです。
 
出于原因,平时我房间的门总是关着的
只是不过时也故意装偶然故意地不注意糊涂预先为他把打开打开的事
 
 

 

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11

Sep

2010

  

今年夏天,我房间里的空调坏了。

 

7月发现的时候,“可能也许自然会好吧?”我不慌不忙地考虑着。

 

到了8月、到底是不能忍耐给电器店打了电话。

因为原来我房间里的空调15年前的产品,所以电器店推荐,不要修理,最好是买新的。

如果再过两周,我认为只要稍微忍耐,就不需要空调了。

 

不过,结果。。。

 

我输给今年夏天了。。。

并且,我体会到了自己敷衍自己的性格。

 

 

 

未完待续,,

 

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前の記事を小藤老師に修正していただきました。

他の方からも修正をもらってしまう前にこの修正をして。。と、前の記事に部分的な修正をすれば済むのかと思っていたのですが、これは、もう修正というより別の文章になってしまいました!

ので、修正のまま載せます。

 

前の記事とは若干違うのですが、およそ同じということで。。

これからは、直された後に載せることにします。シクシク

   

 

我在上海逗留2,回来之后,时间已经过去一个月了(→一个月之前,我就完成了两周的上海逗留回到了日本

    为了提高汉语水平,我去了上海(→我是为了提高汉语水平而前往上海的,然而在2期间,我的汉语特别没进步却没有什么明显的进步

特别是发音,我仍旧说错声调把声调说错把课文读得结里结巴地读着(→特别是在发音方面,我仍旧操着一口错误的声调结结巴巴地读着课文

    日本以后,仍然一边忙于如同右边的石头从右边搬到左面一样单调的工作(→我仍然一边忙于单调得如同把右边的石头挪到左边般的工作一边利用空闲时间,每天继续汉语学习(→每天学着汉语

 

    无论是在上海的宾馆里,还是在出租车,或是烈日当空的道路上被撒水车把水洒到身上的时候(→或者是在路上行走时无缘无故地被洒水车浇得满身是水的某个炎炎烈日下,我考虑思索还是说不定还是我为什么学习汉语呢”这一个问题

    在日本时怎么考虑考虑不明白的问题不过非常遗憾(→而且非常遗憾的是到了中国以后也还是考虑没想明白。

    我也认真考虑反正既然汉语,能不能(→是否可以找个得上汉语的工作呢?

不过,鉴于我的年龄和今后汉语水平的增长提高程度来看,可以断言那是不可能

 

    并且我还明白领略到这样个的事,即:对于并不关心把掌握汉语,想使什么的事和使用那个汉语自己成就什么这件事并不关心

 

    然而,我只是,我相当强迫着自己抽时间念汉语的事到最后持续汉语课本学到最后的事。,反复聆听直到把听不明白的变得好多次重复听不见汉语地方得见明白为止的事

    确实,我确实被样的学习乃至练习汉语和练习,我被的方式所吸引不过我“被吸引” 决不等于“喜欢”不一样

    勉强打个不算恰当比方吧,最初有个不大兴趣的游戏,玩着玩着逐渐却养成了每天都要持续下去日课习惯一边嘴边嘟哝我不喜欢啊。。一边心里却仿佛领悟自己已变得到了不可能停止的状态无法控制的地步。

 

    并且也许在不知不觉再继续着这个绝对不喜欢的游戏时候过程中这个绝对不喜欢游戏,我什么时候有一天可能看到这个游戏的结尾(→在玩着这个绝对不喜欢的游戏的过程中,也许有一天,这个游戏会自然告终吧

    可是现在,我可以老实坦率表明我希望这个绝对不喜欢的游戏,永远不结束的好没有终结

 

 

 

 

ああ。受很大的打击。

 

 

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 ここに、ver2もあったのですが、上手く表示できなくなってしまいましたので、いただいたコメントだけ残して、いったん本文を削除しました。

 

どうでしょう? ブラウザによって、9月6日分の記事がみえたりみえなかったりしてしまうようです。

システムのバグだと思うのですが、

ここには本文を消していて、編集画面では見えないのですが、PCの環境によっては9月6日の記事と混同されているようです。

今のところ、firefoxでは、正しく、ver2の本文が消され、9/6日の記事が見える。

IEだと、9/6の記事が見えずに、ここの9/8のver2のところに、この前書きと9/6の記事が表示されてしまるようです。んんん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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在上海逗留2周之后,已经过去一个月了。

为了提高汉语水平,我去了上海,不过这2周没有让我的汉语有特别进步。

特别是发音,我仍旧说错声调,南腔北调地读着。

回日本以后,仍然被时间追逐,像把石头从右边搬到左边一样单调地工作着.空闲时间,每天继续汉语学习。

 

 

在上海的宾馆里,出租车中,或是烈日当空的道路上,被撒水车把水洒到身上的时候,我考虑的还是「我为什么学习起汉语来了呢」。

在日本时考虑也考虑不明白的事,非常遗憾,去中国还是考虑不明白。

我也认真考虑过「反正学习汉语,能不能用汉语工作呢?」不过,鉴于我的年龄和今后汉语水平的增长情况,可以断言那是不可能的事吧。

并且明白了一件事:我对于掌握汉语后,想怎么使用汉语,和使用汉语使自己成就什么这件事并不关心。

 

只是,我强迫自己找时间练习汉语发音。坚持把汉语课本学完。因为重复好多遍本来听不见的汉语好像听得见了。

确实,这样的学习汉语和练习,我被吸引了。说被“吸引”和“喜欢”不一样。

勉强打个比方说吧,最初不大感兴趣的游戏,渐渐成了每天持续的日课,一边嘟哝着「我不喜欢的啊。。」一边感到似乎是不可能停下来的状态.

 

而且说不定再继续一些时候,这个绝对不喜欢的游戏,什么时候会看到结尾。

可是,现在老实说,我希望这个绝对不喜欢的游戏,永远也不结束的好。

 

 

 

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上海のことを中国語にしようと思って、挫折したままだと、あまりに情けないので、何かを書こうと思って、中国語にする前に、日本語で上海のことを書いてみようとしたら、またダラダラと変な文書になってしまいました。でも、なんとかここらへんのことを、半分くらいに要約して、中国語で書いてみようと思います。9月中あたりに。。きっと。おそらく。。たぶん?
 
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わたしが上海に2週間滞在をしてから、もう一ヶ月が経ってしまいました。
中国語学習のための、上海行きだったのですが、この2週間で格段に中国語が進歩したということは全くなく、発音についても、相変わらず間違えた声調でたどたどしく読んでいるだけです。
また、日本に戻ってからも、相変わらず右の石を左に動かすだけのような仕事に追われながら、合間の時間で、中国語の学習を続けています。
 
もとより記憶力の悪いわたしは、しだいに上海での出来事も忘れてしまうのですが、今覚えていることは、毎日のようにした洗濯。毎朝ホテルの食べ放題で1時間くらいかけて食事して、満腹のあまりしばらく動けなくなったこと。コンビニで並んでいたら、必ず割り込まれてしまって泣きそうになったこと。ホテルの周りで食堂をさがして、どんどん歩いていたら道がわからなくなったことなどなど。
わたしの記憶は、観光名所や、美味しい食べ物よりも、こういった日常の続きで、ちょっと捻れているところに大きく割かれているようです。
 
上海のホテルの中で、タクシーの中で、あるいは炎天下の道路を歩いて清掃車に水をかけられながら考えたのは、やはり「どうしてわたしは中国語を学習しているのだろう」ということかもしれません。
それは、日本にいるときも、考えてもわからなかったことだし、中国に行っても残念ながらわからなかったことです。
真剣に、「せっかくだから、中国語を使った仕事ができないものか?」とも考えましたが、わたしの年齢とこれからの中国語の成長を鑑みても、それは不可能のことだと断言できます。
 
そして、ひとつわかったことは、わたしは中国語をマスターして、何かに使いたいとか、その中国語を使って自分が何かを成し遂げることに興味があるわけではないのです。
ただ、かなり無理をしながら合間時間を見つけては中国語の音読をすること。中国語のテキストを最後までやり続けること。聞こえない中国語を何度も繰り返して聞こえるようになること。まさしく、このような中国語の学習やら練習に惹かれているのです。惹かれているというのは、「好き」とはまた違います。
 
無理に例えると、最初はあまり興味がなかったゲームを、次第に毎日のように続けるようになってしまい、「好きじゃないのに」と呟きながら、やめられなくなっている状態と似ている気がします。
そして、いつかまた、続けているうちに、この決して好きではないゲームのエンディングを見られるのかもしれません。
しかし、今の正直な気持ちは、この決して好きではないかもしれないゲームが、いつまでも終わらないことを願っているのです。
 

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ついに、2週間の上海滞在も今日で終わりです。と、空港までバスで行こうかタクシーにしようか決めかねながら、こんな文章を書いています。

 

昨日は上海万博へ行ってきました。

夜チケットというのがあるというので、90元の当日券で入ったのですが、チケットを買うところでも、また入場の入り口にも全く並ばずに入れました。

会場は西と東に分かれていて、その空いていると言われている西側から入ったからかもしれませんが、逆に不安になるくらい人はいない万博の入り口付近でした。また当日は涼しく、会場に入って日本産業館や、東会場に行く船に乗るあたりは、快適快適万博楽勝万々歳と中華的な呟きが出来るくらい余裕がありました。

東側の会場には、中国館や、各国のパビリオンがあるので、ようやく万博らしい光景がそこに待ち構えていました。

根性が無いので殆ど待たずに入れる国のパビリオンばかり入って、万博館を満喫しつつ、レストランでは、コンビニ風の中華料理にも不愉快にならず、7時過ぎに中国の夜の帳が下りてくる頃には、万博のシンボルのような中国館もライトアップされて、見事な光景でした。

また、そこから他のアフリカ、南アメリカ地帯のパビリオンはどこも並ばずに入れてので、さらに噂で聴く、欧州館の方へ向かおうとしたのですが、この8時過ぎあたりで、精神的に満腹感を覚え始めてきました。しかし貧乏性なので「せっかくなので」という気持ちが高まり欧州館の方へ向かったところで、ようやく万博は人が多くいるのか、と納得させられる人山人海ぶりでした。

そこからは、次第に惰性という名の魔力にかかったのか、とりあえず欧州館の各国の外観をとりあえず写真にとろうということを目標に歩いていたのですが、今度は筋肉が一杯感を覚えて、歩くのが辛くなってきました。5時に入ってすでに9時前にグロッキー状態のわたしでした。

そこでも、うろうろしつつ、だいたい写真も撮り終わったのですが、帰り方がわかりません。中国館に向かえば帰りの地下鉄が近いということが分かっていたのですが、この広い会場を歩いて中国館に向かう気力が無くバスを探したのですが、バス停留所がわかりません。

「バス停がどこですか」とは聴けるのですが、なんとその数倍も返事をもらうと、もう日本人的な曖昧な笑いで頷くしかありません。ようやくバス停留所を見つけた頃には、遥か先に中国館が見えていたので、よくわからないバスに乗って、さらに迷子になって中国語が下手な日本人が路を聞き回るというリスクより、死ぬ気で歩いた方がよかろう。という打算のもとに、サンダルずれも起こした足を引きずるように出口に向かいました。

5時に入って食事時間を入れて10時には、ヘトヘトで出口に向かっていたわたしですが、おそらく朝からいるのか、元気な人たちはスタンプ手帳のようなものを手にして、まだまだどこのパビリオンに向かう姿を見て、自分の体力の無さと万博に向いていない気質を怨めしく思いました。

 

しかし、万博の出口を出て後ろに見える巨大な中国館や万国旗を見て、もう少しいればよかったかも?と感じてしまうところも、またわたしの情けないところです。

 

 

上海の生活はおよそ、11時に寝て、五時に起きていたのですが、帰国の日になってようやく近くの魯迅公園に向かいました。そこでは、想像通り多くの人たちが太極拳や様々な踊りをしていたのですが、また多くの人たちが、かなり真剣にジョギングをしているのにも驚きました。上海でジョギングをしている人を見かけたことがなかったのですが、たしかに早朝の魯迅公園は安全だし、空気も気持ちがよかったので、一度も使っていなかったジョギングウェアに着替えにホテルへ戻り、記念に1時間くらい走りました。

走っている人に若い人は、殆どいないのですが、どの方もみんなかなり真剣に走っていて、上半身裸だったり、下着姿の方も多くいたのですが、一緒に走れてとても嬉しかったです。

と同時にもっと早く気付いて、毎日ここで走ればよかったなあ。と考えていると次第に哀しくなってきました。

どういう哀しさなのか、自分でもわからないのですが。

とにかく、今、わたしは中国にいるのだなと、ようやく実感できた瞬間でした。

 

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2週間の上海滞在も、あっというまに終わろうとしています。

と、毎日ここに日記を書こうとしたのですが、中国語で書かねば。というプレッシャーに負け、なかなか書けないわあ。とモジモジしている間に、この週末にはもう帰国です。

上海は、万博以外の観光地は結構回ったのですが、個人的に一番上海を感じたのは、夜の11時過ぎに飲み物を買いに出かけたところ、ホテルから駅の間の大きな歩道いっぱいに夜店が出ていた光景かもしれません。

こんな遅い時間に外に出た事が無かったので、あの大きな歩道や横断歩道にまであふれた百件余りの夜店の光景には驚きました。

またそこを歩くのが困難になるくらいの人たち。大声で値切りをして買い物をする人たち、喧嘩をしている人たち、上海万博グッズを片付けさせている警察官、交差点ではクラクションが鳴りっぱなしで、そのすぐ隣の横断歩道でキスをしているカップル。わたしが上海に来てから止まったことがないビルの建設現場の騒音。

わたしは、中国人らしくない容貌の方から羊の串肉を買って、中国のテレビドラマを大量に買ってしまいました。いったい何時になったら、その他の見ていない中国ドラマを見る日が訪れるのかわかりません。

そんな夜中の買い物をしては、ホテルの扉を開けてロビーに入ると、もう喧騒も熱帯夜の湿度も様々な屋台料理の匂いもなく、静かな空間に戻らされます。

そして、ようやく、わたしは随分遠いところに来てしまったな。という気持ちを感じられました。

 

明日は、午後の授業が終わったら、夜チケット(90元)でようやく、上海万博へ行く予定です。

たぶん、つづく。。

 

 

 

 

 

 あ、それから、ひとつ中国で生活をしている方に教えていただきたいのですが、今、上海のテレビでマクドナルドのCMをよく見かけます。

それは、わかい男性と女性がテニス?のあとにベンチに座りながら会話を交わしているだけなのですが、もしや、日本にもとのCMがあるのか、なぜかこの二人が何を言っているのかが気になってしかたありません。どなたか、暇な方、わたしが中国にいる間、(24日の朝)までに教えてくれるととても嬉しいです!

 

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13

Jul

2010

  

会社から2週間の休みをもらって、7月10日から上海に来ています。目的は上海万博ではなく、いちおう中国語学習。。のつもりなのですが、なかなかままなりません。

いろいろあったのですが、昼ごはんの中身を思い出せないくらいなので、とりあえず覚えていることを記録しておきます。

出発の飛行機がよくわからない理由で1時間遅れたのですが、2週間も休むと言う非道な計画のために、一週間殆ど深夜帰りだったので、待合椅子で寝てしまい、起こされてぎりぎりに搭乗しました。

蒸し暑い上海に降り立って、誰ひとり向かわないタクシー乗り場でタクシーに乗り込み、ホテルの名前から通じないし、知らないと言われながら、住所を見せて頷いていただく。

そこらへんのやりとりも、ほとんどウトウトしていたのですが、突然大きな音がしたと思ったら、タクシーの上に乗っている看板のようなものがボンネットに跳ねてから、下に落ちたのには、もしやわたしは暗殺者から命を狙われているのか?と自分がわからなくなりました。

 

さらに、運転手が急ブレーキを踏んで、車は高速道路をスピンしならが止まりました。すると、さらにさらに運転手は車を高速でバックさせて、その看板の落ちた所に向かうのですね。もう、かなりの車の量があったのですが、バックする方が強いのか、どの車もぎりぎりに避けて走っていきます。これでぶつかると保険が降りるのだろうかと考えていると、彼は車を止めてその高速に車が走る中を、悠々と歩いていきますよ。

ああ、なんかいいものを見れたなあ。と、感動しながら中国の一日は始まったのですが、タクシー代は200元と調べた値段よりも高かったのも、あそこでタクシーを停めたからでしょう。とはいえずにいい経験ができたからと自分にいい聞かせつつ、

 

「帰りに呼んでくれれば、またあなたを迎えにくるよ」みたいなことを彼はいいながら自分の電話番号を書いてよこしてくれたのですが、もちろん電話しませんから!

 

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26

Dec

2009

  

 

在我家,只有我的屋子为了不让猫进来一直关着门。
上周六晚上两点左右,我正学中国语,突然听到了门响,回头一看,猫站在那儿。
我没有去想猫怎么开的门,猫一直注视着我,呆了好一会儿。她是很少叫的,但那时不知为什么哀叫了两三声。
于是,我靠近她,想摸摸她的身体,可她像往常一样避开我的手悠然走着离开了我的屋子。
那时,她是否想向我说些什么,不懂猫语的我当然不会明白。但是,对于那天猫的奇怪举动,我却每天都在反复回想。
后来的那个周日,猫的健康突然恶化,行动一天天变坏,连东西也不能吃。每天我下了班就去动物病院。
从周四起,她一点东西儿都不能吃了,连屎尿也完全不排泄。到了周五,医生说已没法救治了。
周五晚上,当我抱住她时,第一次她一点也不讨厌让我碰。整晚,有好几次呼吸都要停止了似的,却又像想起了什么抬抬头,看看我的脸,就这样反反复复的,结果我们一点儿都没睡着。
朝阳升起后,疼痛让她一直苦苦呻吟。一小时又一小时,痛苦持续增加,十二点左右,终于挨到了兽的临终停止了呼吸。
即便如此,正因为临死前花了一周时间,才让我能一直想起活着的她。尽管那是一件非常痛苦的事,但却勾起了对生和死的思考,让我们得以理解,对自己,或对所有生物来说,死,都是件“必不可少的事”。
尽管我不知道,那天晚上到我屋子里来的猫到底要说些什么,但却能清晰地记起那时我正在学的中国语课文的题目是“那你用我的好了”。

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