王朗

分類:三国志

王朗

[wáng lǎng]

訳) 王朗

部首:
画数:
0

【名詞】 王朗

王朗(?~228)
  字は景興。諡は成侯。東海郡郯県の人。経書に通じていたため、郎中に任ぜられ、菑丘の長となった。太尉楊賜が没すると、官を捨てて喪に服した。のち会稽太守となった。建安元年(196)、孫策が浙江に渡り経略をはじめると、兵を発してこれをはばんだが、固陵において敗れた。海を渡って東冶に逃れたが、追撃を受けて孫策に降った。曹操に召し出され、諫議大夫・参司空軍事となった。魏国が建てられると、魏郡太守となり、少府・奉常・大理を歴任した。曹丕が王位につくと、御史大夫に進み、安陵亭侯に封ぜられた。曹丕が帝位につくと、司空に任ぜられた。明帝のとき、司徒に転じた。刑政は寛容につとめ、しばしば上疏して歴代の魏主を諫めた。


ページトップへ