衛覬

分類:三国志

卫觊

[wèi jì]

訳) 衛覬

部首:
画数:
1

【名詞】 衛覬

衛覬(?~230)
  字は伯儒。河東郡安邑の人。若くして才学によって称揚された。後漢末に曹操に召し出されて司空掾属となり、茂陵令・尚書令に任ぜられた。建安四年(199)、関中に鎮し、塩の売買を監督し、農耕を勧奨し、流民の帰郷を促すよう建議して、曹操が司隷校尉を置いてこれらを実行させたため、関中諸将を服従させることができた。尚書に上り、のち魏の侍中となった。文帝が即位すると、再び尚書となり、陽吉亭侯に封ぜられた。明帝のとき、閺郷侯に進み、律博士を置き、官吏に刑法を教えるよう上奏した。また民の労役を軽減し、宮廷の奢侈を改めるよう諫めた。古文を好み、烏篆・隷草をよくした。『魏官儀』。


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