司馬衷
分類:三国志
司马衷
[sī mǎ zhōng]
訳) 司馬衷
部首:
口
画数:
2
【代名詞】 司馬衷
司馬衷(259~306)
字は正度。西晋の二代恵帝(Huidi)。在位290~306。武帝(司馬炎)の次男。泰始三年(267)、皇太子に立てられた。永煕元年(290)、帝位につき、皇后の賈氏に政権を握られた。八王の乱が起こって、しばしば玉として担ぎ上げられ翻弄された。永康二年(301)、趙王司馬倫により廃位され、永昌宮に幽閉された。まもなく司馬倫が殺されて、復位した。永安元年(304)、東海王司馬越が帝を奉じて鄴を攻めたところ、成都王司馬穎に敗れて帝は捕らえられた。まもなく司馬穎は王浚に敗れたため、帝を連れて洛陽に逃げた。のち張方により長安に移された。光煕元年(306)、司馬越の部将祁弘が長安を攻めて、恵帝を奪い返し、洛陽に帰還した。のち餅による食中毒で崩じた。毒殺されたともいう。かつて恵帝は華林園で蝦蟇の声を聞いて、「この鳴いているのは、君か?私か?」。天下が乱のため荒廃して穀物が取れず、人民が餓死していると聞いて、「どうして肉を食わないのだ?」。