王淩

分類:三国志

王淩

[wáng líng]

訳) 王淩

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【名詞】 王淩

王淩(172~251)
  字は彦雲。太原郡祁県の人。王允の甥にあたる。後漢の献帝のとき、孝廉に挙げられ、発干の県長となり、中山太守に累進した。曹操に召されて丞相掾属をつとめた。魏の文帝のとき、散騎常侍・兗州刺史となり、張遼らとともに呉を討つのに功があり、宜城亭侯に封ぜられ、建武将軍を加えた。揚州刺史・豫州刺史を歴任して、治績を挙げた。正始初年に征東将軍・仮節・都督揚州諸軍事となり、呉の全琮の攻撃を撃退し、南郷侯に改封された。車騎将軍に進み、のち司空・太尉に進んだ。ときに外甥の令狐愚が兗州刺史となり、叔父甥がともに兵を預かっていた。ふたりは共謀して斉王曹芳を廃し、楚王曹彪を擁立しようと計画した。嘉平三年(251)、黄華と楊弘により司馬懿に密告され、討伐を受けて司馬懿に降った。洛陽に送られる途中、項において毒を飲んで没した。子の屯騎校尉王広もまた誅された。


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