姜維

分類:三国志

姜维

[jiāng wéi]

訳) 姜維

部首:
画数:
6

【代名詞】 姜維

姜維(202~264)
  字は伯約。天水郡冀県の人。はじめ魏に仕え、中郎になり、天水郡の参軍をつとめた。建興六年(228)、蜀の諸葛亮が魏を攻めるため祁山に向かったとき、天水郡太守に疑われて孤立し、蜀に帰順した。倉曹掾に任ぜられ、奉義将軍を加えられ、当陽亭侯に封ぜられた。亮はその胆力や識才を重んじ、中監軍・征西将軍に任じた。亮が没すると涼州刺史・衛将軍に累進し、延煕十年(247)には費禕とともに録尚書事をつとめた。この年、魏の郭淮・夏侯覇らと戦った。十二年(249)、西平に出陣したが、功を挙げることなく帰還した。かれは大軍を動かすことを望んだが、費禕がいつもそれを阻んだ。十六年(253)に費禕が没すると、軍を出して南安を包囲したが、魏の雍州刺史・陳泰が来援したため撤退した。十八年(255)、魏の雍州刺史・王経を破り、狄道を包囲したが、魏の援兵がいたって退いた。翌年、大将軍に進み、兵を率いて祁山に出たが、段谷において魏の鄧乂に敗れた。このため後将軍・行大将軍事に降格された。景燿元年(258)、再び大将軍に上った。五年(262)、軍を率いて侯和に出たが、また鄧乂に敗れ、沓中に鎮した。翌年、魏の鍾会・鄧乂が大軍を率いて蜀を攻めたため、剣閣を守って鍾会と対峙した。鄧乂が陰平・緜竹を経て迂回して成都にいたり、後主が魏に降ったため、命により鍾会に降伏した。のちに鍾会が魏に叛乱しようとした計画に参与して、これに借りて蜀漢を復興しようとした。しかし事前に漏れて魏の将兵に殺された。


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