于禁

分類:三国志

于禁

[yú jìn]

訳) 于禁

部首:
画数:
2

【名詞】 于禁

于禁(?~221)
  字は文則。泰山郡鉅平の人。初平元年(190)、済北の相の鮑信に従って起兵した。のち曹操に帰順し、都伯となる。建安元年(196)、黄巾残党の劉辟・黄邵を征討するのに従い、その衆をことごとく降して、平虜校尉に進んだ。翌年、張繍が降りまた叛いたため、曹操軍は混乱に陥ったが、ひとり陣容を整えて帰還した。また麾下の青州兵の暴行を取り締まった。功により益寿亭侯に封ぜられた。官渡の戦いでは、袁紹軍を連破した。十一年(206)、昌豨を東海で破り、虎威将軍となり、左将軍に進んだ。二十四年(219)、曹仁を助けて関羽と樊城で戦ったが、大雨に遭い、漢水が決壊して孤立したため、降伏した。孫権が関羽を捕らえたとき、ともに捕らえられた。魏の黄初二年(221)に魏に還され、安遠将軍となった。文帝はかれが関羽に降ったいきさつを画に描かせており、これを恥じて病を発して没した。


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