張遼

分類:三国志

张辽

[zhāng liáo]

訳) 張遼

部首:
画数:
4

【名詞】 張遼

張遼(169~222)
  字は文遠。もとの姓は聶。雁門郡馬邑の人。はじめ并州刺史の従事となり、何進・董卓・呂布に属した。建安三年(198)、曹操が呂布を破ると、曹操に降って中郎将に任ぜられ、関内侯を賜った。昌豨を東海に降し、袁尚を鄴に攻めるのに従い、烏桓を白狼山に破り、陳蘭・梅成の乱を潜山に平定した。功績によって盪寇将軍となり、都亭侯に封ぜられた。合肥に鎮し、対孫権の前線を守った。建安二十年(215)、孫権が十万の兵を率いて合肥を囲んだとき、精鋭八百人で呉軍を撃ち、その士気を阻喪させた。孫権が軍を退くところをさらに追撃し、孫権の本陣に肉薄した。魏の文帝が即位すると、前将軍に任ぜられた。黄初三年(222)、曹休らとともに呉の呂範の軍を破った。江都で病死した。


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