司馬師

分類:三国志

司马师

[sī mǎ shī]

訳) 司馬師

部首:
画数:
2

【名詞】 司馬師

司馬師(209~255)
  字は子元。晋の景帝と追尊された。河内郡温県の人。司馬懿の長男。魏の景初年間に散騎常侍に任ぜられ、中護軍に累進した。司馬懿が曹爽を誅殺するのに参与した。長平郷侯に封ぜられ、まもなく衛将軍を加えられた。司馬懿が没すると、撫軍大将軍として輔政にあたった。嘉平四年(252)、大将軍となり、侍中・持節・都督中外諸軍を加えた。翌年、呉の諸葛恪が淮南を攻めると、毋丘倹・文欽を遣わしてこれを破った。六年(254)、魏帝曹芳と中書令李豊が司馬氏を排して夏侯玄を輔政としようと図ったため、李豊・夏侯玄らを誅殺した。帝を廃して彭城王曹拠を立てようとしたが、皇太后が従わなかったので、高貴郷公曹髦を擁立した。正元二年(255)、兵十数万を率いて淮南におもむき、毋丘倹・文欽の乱を討った。凱旋する途中、許昌で没した。


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