諸葛誕
分類:三国志
诸葛诞
[zhū gě dàn]
訳) 諸葛誕
部首:
讠
画数:
8
【名詞】 諸葛誕
諸葛誕(?~258)
字は公休。瑯邪郡陽都の人。尚書郎から滎陽令となり、御史中丞尚書に累進した。しかし、明帝に憎まれて官を免ぜられた。曹芳のとき、揚州刺史・鎮東将軍に任ぜられた。嘉平四年(252)、七万の軍を率いて呉の東関を攻め、敗れて鎮南将軍に遷された。正元初年、毋丘倹・文欽が叛乱したため、司馬師の征討に従った。この功績で、征東大将軍・揚州都督に上り、高平侯に封ぜられた。司馬氏の執政のもと不安が昂じ、兵を十万に増員することを請い、淮水に臨んで築城して保身を図った。甘露二年(257)、司空に任ぜられたため、兵権を奪われることを恐れ、ついに揚州刺史の楽綝を殺し、寿春で叛乱を起こした。呉の援助を求めて左都護・驍騎将軍の位を授けられたが、司馬昭の軍に寿春を囲まれ、自軍からの脱走が相次ぎ、援軍の呉軍が囲みを解くことができないうちに兵糧も尽きて敗死した。