鍾会

分類:三国志

钟会

[zhōng huì]

訳) 鍾会

部首:
画数:
4

【名詞】 鍾会

鍾会(225~264)
  字は士季。潁川郡長社の人。鍾繇(元常)の末子。たいへん早熟で五歳のときには蒋済が「なみはずれた人間だ」と評価したといわれる。はじめ秘書郎に任ぜられ、尚書中書侍郎に上り、関内侯の爵位をえた。毋丘倹の叛乱討伐に従軍し、司馬昭の下で謀を献じた。黄門侍郎に上り、東武亭侯に封ぜられた。また呉との戦いで、謀を献じて全懌らを降伏させた。このため司隷校尉に上った。このころ私怨を晴らすため、嵆康が処刑されるよう画策した。蜀討伐のため鎮西将軍・仮節都督関中諸軍事に任ぜられ、鄧艾・諸葛緒らを率いて遠征した。蜀将・姜維の軍を圧倒し、鄧艾の軍が長駆して緜竹を落とし、成都の劉禅を降らせた。鍾会は司徒に上り、一万戸の加増の沙汰を受けた。鄧艾を叛逆の罪で告発して追い、成都で自立を図ったが、胡烈の軍に阻まれて斬られた。


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