士燮

分類:三国志

士燮

[shì xiè]

訳) 士燮

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【名詞】 士燮

士燮(137~226)
  字は威彦。蒼梧郡広信の人。士賜の子。若くして洛陽に遊学し、劉陶に師事した。孝廉に推挙され、尚書令となった。茂才に挙げられ、巫県の令を経て、交趾太守となった。後漢の献帝のとき、天下は大乱となり、弟の士壱を合浦太守に、士イ※1を九真太守に、士武を南海太守にあてるよう上表して認められた。中原から難を避けた士人を保護し、交州の実権を握った。綏南中郎将となり、のちに安遠将軍に任ぜられ、度亭侯に封ぜられた。建安十五年(210)、孫権が歩隲を交州刺史として派遣すると、孫権に帰順し、左将軍となった。益州の豪族の雍闓に働きかけて孫権に帰属させた。衛将軍となり、竜編侯に封ぜられた。交趾郡にあること四十余年で没した。


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