虞翻

分類:三国志

虞翻

[yú fān]

訳) 虞翻

部首:
画数:
7

【名詞】 虞翻

虞翻(164~233)
  字は仲翔。会稽郡余姚の人。はじめ会稽太守の王朗の下で功曹をつとめた。孫策が軍を進めてきたとき、避難するよう王朗に勧めた。王朗はその意見を聞かず孫策と戦って敗れ、海上に逃れた。東部侯官までいたったが、老母のために会稽に戻り、孫策に仕えて功曹となった。のち富春県の長になった。孫策が死んだとき、変事に備えて任地にとどまったまま喪に服した。茂才に推挙されて曹操に招かれたがこれを拒絶した。孔融と交際して『易経』の註釈を論じた。孫権に騎都尉に任ぜられたが、意に沿わない諫言をたびたびおこなったので、丹楊の涇県に遷された。呂蒙が虞翻を許されるように取りはからって、対関羽戦に従軍した。このとき関羽の死を予見したといわれる。関羽に捕らわれていた魏の于禁を解放すると、孫権が親しく待遇しようとしたが、虞翻は于禁が礼遇を受けるのに反対し、魏に帰還させず処刑するよう主張した。また降将の麋芳を侮辱した。人のことを顧慮せずに正しいと思うことを押し通し、酒の席での失敗が多かった。孫権に憎まれて交州に遷された。その後も学問研究を続けて『老子』『国語』『論語』などに註釈をつけた。配流地で没した。『周易注』。


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