顧雍

分類:三国志

顾雍

[gù yōng]

訳) 顧雍

部首:
画数:
4

【名詞】 顧雍

顧雍(168~243)
  字は元歎。呉郡呉県の人。若いころ蔡邕に師事して、学問と琴の伝授を受けた。婁・曲阿・上虞で治績をあげた。孫権が会稽太守となると、丞として政務を代行した。孫権が呉王となると、大理・奉常・尚書令に累進し、陽遂郷侯に封ぜられた。黄武四年(225)、太常となり、醴陵侯に封ぜられた。孫邵に代わって丞相・平尚書事となった。しばしば献策して、用いられれば孫権の発案として主君の顔を立て、用いられない場合は他言しなかったという。嘉禾二年(233)、孫権が遼東の公孫淵を燕王に封じようとしたとき、これを諫めたが聞き入れられなかった。のち呂壱の専横にあって、冤を受けて譴責された。呂壱の罪が発覚してこれを取り調べたが、私怨にとらわれずこれを公正にあつかった。相位にあること十九年にして没した。


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