諸葛恪
分類:三国志
诸葛恪
[zhū gě kè]
訳) 諸葛恪
部首:
讠
画数:
8
【名詞】 諸葛恪
諸葛恪(203~253)
字は元遜。瑯邪郡陽都の人。諸葛瑾の長男。はじめ騎都尉に任ぜられ、呉の皇太子・孫登の賓友となった。嘉禾三年(234)、撫越将軍に任ぜられ、丹陽太守を領し、兵を率いて山越を攻めた。兵糧攻めで山越を降し、功績によって威北将軍に任ぜられ、都郷侯に封ぜられた。赤烏年間に陸遜が没すると、大将軍・仮節に上り、武昌に鎮し、陸遜に代わって荊州を守った。孫権が薨じ、孫亮が立つと、太傅に任ぜられて国政の改革に尽力して人心を得た。建興元年(252)、魏軍を東興で破り、陽都侯に封ぜられ、荊州牧・揚州牧・都督中外諸軍事を加えられた。翌年、魏を攻めて勝てず、士卒の多くに傷病を負わせたため、国内に怨嗟の声が満ちた。のちに孫峻に殺された。