関羽

分類:三国志

关羽

[guān yǔ]

訳) 関羽

部首:
画数:
4

【名詞】 関羽

関羽(?~219)
  字は雲長。もとの字は長生。諡は壮繆侯。河東郡解県の人。涿郡に出奔し、劉備の股肱となって転戦した。劉備が平原の相となると、別部司馬となった。劉備が徐州刺史の車胄を殺して徐州を奪うと、関羽は下邳を守備した。建安五年(200)、曹操が徐州を伐つと、劉備は袁紹のもとに逃げたが、関羽は捕虜となった。曹操は関羽を偏将軍に任じて礼遇した。関羽は白馬の戦いで袁紹の部将・顔良を討ちとった。曹操に推挙されて漢寿亭侯に封ぜられた。しかし、曹操からの賜物を全て封印して、袁紹の軍にいる劉備のもとに奔った。袁紹が敗れると劉備に従って劉表のもとに身を寄せた。劉表が没して曹操が南下の軍を起こすと、水軍を率いて夏口にいたった。曹操が孫権・劉備の連合軍に敗れると、荊州平定に功績を立て、襄陽太守・盪寇将軍となった。劉備が益州を平定すると、荊州の軍政を統括した。二十四年(219)、前将軍に任ぜられ、節鉞を貸与された。樊城の曹仁を攻撃し、于禁を捕らえ、龐悳を斬った。しかし、麋芳と傅士仁が孫権に寝返り、孫権の軍が江陵を占拠したために孤立し、孫権に捕らえられて斬り殺された。

【例】关羽、张飞皆万人敌也
(三国志·魏志·程昱传)関羽·張飛は皆非常に優れた武将である

【例】关羽、张飞皆万人敌也
(三国志·魏志·程昱传)関羽·張飛は皆非常に優れた武将である


ページトップへ