費禕

分類:三国志

费禕

[fèi yī]

訳) 費禕

部首:
画数:
5

【代名詞】 費禕

費禕(?~253)
  字は文偉。江夏郡ボウ※1県の人。族父に従って蜀に入り、劉備に仕えた。董允とともに太子舎人となり、劉禅が即位すると黄門侍郎に遷った。諸葛亮に重用されて、昭信校尉に任ぜられ、呉に使いした。道理正しく篤実な態度で詭弁に屈しなかったので、孫権にも高く評価された。侍中・丞相参軍・中護軍・司馬などを歴任した。楊儀と魏延が争ったとき、両者の間に割って入って諫めた。亮の死後、後軍師に任ぜられ、また蒋琬に代わって尚書令に上った。蒋琬を継いで、大将軍・録事尚書となった。延煕七年(244)、魏を退ける功績を立て、成郷侯に封ぜられ、益州刺史となった。十六年(253)、宴会で酒に酔っているところを、魏からの降将・郭脩に刺殺された。


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