譙周

分類:三国志

谯周

[qiáo zhōu]

訳) 譙周

部首:
画数:
12

【代名詞】 譙周

譙周(201~270)
  字は允南。巴西郡西充の人。経学に通じた。蜀漢の建興年間に、諸葛亮のもとで勧学従事に任ぜられた。亮が没すると、蒋琬のもとで典学従事に転じた。太子僕・太子家令・中散大夫を歴任し、後主(劉禅)の遊興をいさめた。また陳祇と論争して『仇国論』を著した。のちに光禄大夫に上った。炎興元年(263)、鄧乂が成都を囲んだとき、後主に投降を勧めた。魏により陽城亭侯に封ぜられた。西晋により散騎常侍に任ぜられたが受けず、病没した。


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